大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)2573号 判決

原告

武田善次

ほか一名

被告

大信化工株式会社

ほか二名

主文

一、被告川本清、同安藤数夫は各自、

(1)  原告武田善次に対し金九九八、〇九〇円および内金八九八、〇九〇円に対する、

(2)  原告武田政子に対し金一、〇九三、〇〇〇円および内金九九三、〇〇〇円に対する、

それぞれ右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告会社に対する請求および被告川本、同安藤に対するその余の各請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告と被告会社との間に生じたものは原告の負担とし、その余の被告との聞に生じたものはこれを二分して、その一を原告の、その余を被告川本、同安藤の負担とする。

四、この判決は一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

被告らは各自、

原告善次に対し金二、五七三、一八八円および内金二、四二三、一八八円に対する、

原告政子に対し金二、五一八、三二三円および内金二、三六八、三二三円に対する、

各訴状送達の翌日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告会社

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

三、被告安藤

請求棄却の判決

第二、当事者の主張

一、原告ら、請求原因

(一)、本件事故の発生

日時 昭和四二年一〇月一日午前八時五分ごろ

場所 松原市更池町一〇二番地先交差点

事故車 大型貨物自動車(姫路一な一五五号)

運転者 被告安藤

態様 武田洋三(当時七才)が自転車に乗つて進行中、折から南から西へ左折中の事故車の後部ではねられ、その後輪で轢過され、頭部腹部打撲傷、右大腿部右足背裂創の傷害をうけ即死した。

(二)  権利承継

原告善次は亡洋三の父であり、原告政子はその母であり、洋三の権利を相続により承継した。

(三)、帰責事由(自賠法三条本文)

1 被告会社は事故車の買収名義人であつて、これを有償で被告川本に貸与していたものである。

2 被告川本は被告会社から借りうけていた事故車をさらに被告安藤に有償で貸与していた。

3 被告安藤は自己のために事故車を自ら運転して運行中本件事故を惹起した。

(四)、損害

1 逸失利益 四、七三六、六四六円

亡洋三の平均余命 六六・〇八年

稼働年数 二五才から六〇才まで三五年

平均給与 年収三八六、四〇〇円

(第一七回日本統計年鑑により昭和四〇年度の企業規模一〇ないし二九人の事業所における二五才から二九才までの男子労働者の平均年収)

生活費控除 年間一四八、六二〇円

(同年鑑により世帯人員四・二〇人の勤労世帯の平均一か月消費支出四九、七八八円、一人あたり同支出一二、三八〇円から算出)

年間純収入 二三七、七八〇円

右金額を新ホフマン式により、三五年間の中間利息を控除して算出。

2 慰藉料(亡洋三分) 一〇〇万円

以上、原告らが二分の一宛承継したから、各金二、三六八、三二三円となる。

3 原告らの慰藉料 各一〇〇万円

亡洋三は原告らの長男であり、跡取り息子として将来を期待すること大であつただけに、同人を失つたことによる精神的苦痛は大きく、家業(土建業)にもしばらく手がつかなかつた有様であつた。

なお洋三の慰藉料が認められないときは、原告らの慰藉料として各一五〇万円を請求する。

4 医療処置費 一一、七〇〇円

検死診断料 一、四〇〇円

葬祭費 二八三、四六五円

(原告善次において支払つた損害)

5 弁護士費用 各一五万円

(五)、損益相殺

原告善次は被告安藤から二三万円を、自賠責保険一、五一一、七〇〇円を受領し、慰謝料、医療処置費、葬祭費の一部に充当、原告政子は同保険金一五〇万円を受領したから慰藉料に充当した。

(六)、よつて原告らは被告らに対し、第一の一記載の金員および遅延損害金の支払を求める。

二、被告会社の答弁

(一)、本件事故の発生、不知、帰責事由、否認

(二)、被告会社が事故車の買受名義であつたことは認める。しかしこれは訴外増田武男が、車庫その他陸運局に申請する条件が整うまで、とりあえず被告会社の名義を貸したにすぎず、右増田がその後他人に使用させていたものであり、被告川本、同安藤とは全く面識もない。被告会社が運行供用者として責任を負ういわれはない。

三、被告安藤の答弁

本件事故の発生は認める。

帰責理由について、事故車は被告川本から月五万円の賃料で借りて運転していたものである。

損害額は争う

四、被告川本は公示送達による呼出をうけたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。

第三、証拠〔略〕

理由

一、本件事故の発生

被告安藤はすべて認めるところである。被告会社との間において〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。

昭和四二年一〇月一日午前八時五分ごろ、松原市更池町一〇二番地先交差点において、被告安藤運転の事故車が南から西へ左折進行中、事故車の右側から同方向に足踏自動車で進行した原告(当事七才)に接触してはねとばし、頭部、腹部打撲傷等を負わせ即死させた。この認定に反する証拠はない。

二、被告会社の責任について

事故車が被告会社の名義で買いうけたことは、被告会社が自認するところである。〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。

訴外増田武男は、トラツク五台を購入して姫路市において無免許で運送業を営み、皮革会社、マツチ会社などの荷物を運搬していた。運送業を営む前に、増田が当り矢印のマツチ会社に勤めていたことがあり、同社の下請をしていたことがあり、同社の下請をしていた被告会社を知り、その代表者山本信一とも顔見知りであつた。時には被告会社の荷物を運送することもあつた。昭和四〇年六月増田が日野自動車販売株式会社から事故車を月賦で購入したが、その際車庫証明を取ることができないため、山本信一に依頼して被告会社の名義を借りることにした。ところが五か月後増田は経営困難となり債権者であつた平野豊に事故車が持ち去られ、そのうえ日野自動車に対する支払ができないため、昭和四一年八月ごろ同社から増田および被告会社の山本が横領被疑事件で告訴され取調をうけた。驚いた山本は増田に名義変更を求め、立替えた自動車税の督促もしたところ増田は昭和四二年五月事故車の行方を探し、この件について一切責任は自ら負い被告会社に迷惑をかけない旨の誓約をした。その後増田は事故車を取り戻せず、何らないうちに本件事故が発生した。

右認定に反する原告本人武田善次の中間結果の一部は直ちに措信できず、他にこの認定を動かしうる証拠はない。右事実によると、被告会社は増田武男から頼まれて事故車購入について買受名義人となつたにとどまり、増田との間に資本的人的な結びつきもなく、単に同社代表者と顔見知りで、時には増田と運送契約を結んでいた程度の関係である。事故車が平野豊によつて持ち去られ告訴事件が起つてからは、名義変更も求めており、特に本件事故当時に事故車がどこで誰によつて運行されていたのかも知らなかったものと推認されるので、被告会社は事故車の運行を支配しえたとは到底認められず、運行供用者として責任を負うべきいわれはなく、本件事故について賠償義務はない。

三、被告川本、同安藤の責任

被告安藤は、被告川本から事故車を月五万円の賃料で借りて自ら運転していたことを認めている。被告安藤は自己のために事故車を運行していたものというべきである。被告川本は事故車の貸主であることから事故当時その保有者となつていたものと推認され、特段の事情のないかぎりその運行支配、同利益は被告川本にも帰属していたものと考えられる。被告川本がその保有するに至つた経過や被告安藤との契約、賃貸期間等から運行支配を否定しうる特段の事情について何ら主張、立証しない本件において運行供用者として責任を負わねばならない。

従つて、右被告らは自賠法三条本文により本件事故から生じた後記原告らの損害を賠償する義務がある。

四、損害

1  逸失利益 二五四万円

亡洋三の平均余命 六三・二七(第一一回生命表)

稼働年数 一八才から六三才まで四五年間

初任給(賞与を含む) 年収二八六、七〇〇円

(昭和四二年度労働者労働統計調査部の賃金センサス第一巻七四頁、企業規模一〇人以上全産業男子高校卒業者の初任給平均月間給与二二、一〇〇円、賞与等年間二一、五〇〇円から算出)

生活費控除 収入の二分の一

新ホフマン式により中間利息を控除して算出。

二八六、七〇〇円×〇・五×(二六・三三五-八・五九〇)=二五四万円(一万円未満切捨)

原告らは亡洋三の父母として右逸失利益の損害を各二分の一ずつ相続により承継した。(証拠略)各金一二七万円となる。

2  原告らの慰藉料 各金一五〇万円

原告らが、長男で当時小学校二年生であつた洋三(前記原告本人尋問結果)を失つた悲しみは大きく、他に諸般の事情を参酌して、その精神的苦痛に対する損害として右金額が相当である。

(亡洋三の慰藉料について)

前記のとおり洋三は即死しており、同人に一身専属的な慰藉料請求権を認めることはできないので、この請求を認めない。

3  原告善次が支払つた

医療処置費 一一、七〇〇円

検死診断費 一、四〇〇円

〔証拠略〕

4  葬儀費用 一五万円

原告善次が洋三の葬儀を行いその費用を支出した。

その金額は二八万円余であった。(証拠略)子供の葬儀についてその金額中、一五万円を相当性のある損害として認める。

五、過失相殺について

〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。

本件事故現場は、南北に通る大阪府道、大阪狭山線と東西に通る同府道堺大和高田線とが直角に交差する交差点のすぐ西側である。南北線は幅員五・二メートル、東西路のそれは九・二メートルで、いずれもアスフアルト舗装され、南側からの見とおしは前方左方へは良好である。付近は市街地であり、右交差点には信号機が設置され、作動中であつた。

被告安藤は交差点南側横断歩道の手前で信号まちのため事故車を一時停止させ、信号が変り発進して左折した。事故車は全長九・八四メートル、幅二・四九メートルもある大型トラツクで、運転席のすぐ前下と両横下は死角に入り見えず、サイドミラーの視界は荷台から後方に限られている。事故車が左折して交差点西側の横断歩道を過ぎて約一二、三メートル進んだあたりで、被告安藤は後方で何か轢いた感じがしたので、しばらく前進して停止した。これは右横断歩道西側端線から三、四メートルのセンターラインの近くの地点で洋三の自転車を事故車前部車輪の後輪で轢いたためであり、その付近には血痕が散らばつていた。衝突後まで被告安藤は洋三の姿を確認していなかつた。洋三は事故車と同様交差点南側で信号まちして、事故車の右前方におり、事故車に先行して左折し、自己の通学する小学校まで運動会が開催されるかどうか確かめに行く途中であつた。

右認定に反する証拠はない。右事実によると、洋三が事故車の右前方を先行して左折し、後方から事故車が自転車と接触して洋三を轢過したのであり、被告安藤は接触前には洋三を容易に発見しえたはずで、ただ接触直前に死角に入つたものと考えられ、同被告の過失はきわめて大きい。ただし、洋三も七才の小学生とはいえ自転車を左折させる方法においてきわめて危険な方法をとつており、衝突地点もセンターライン近くであり、その進路をとつたことに不注意があるものといわざるをえない。車種、洋三の年令を考慮して被害者の過失を一〇%とするのが相当である。

そうすると、前記四の損害額は

原告善次について、二、六三九、七九〇円となり、

原告政子について、二、四九三、〇〇〇円となる

(算式)

二、九三三、一〇〇円×〇・九=二、六三九、七九〇円

二、七七〇、〇〇〇円×〇・九=二、四九三、〇〇〇円

六、損益相殺

原告善次は自賠責保険金一、五一一、七〇〇円、被告安藤から二三万円、原告政子は同保険金一五〇万円をそれぞれ受領しているので、右五、末尾の金額から控除すると、

原告善次は 八九八、〇九〇円

原告政子は 九九三、〇〇〇円となる

七、弁護士費用

原告善次 一〇万円

原告政子 一〇万円

(弁論の全趣旨、認容額、事業の難易等)

八、結論

よつて、被告安藤、同川本は各自、原告善次に対し金九九八、〇九〇円および弁護士費用を除く内金八九八、〇九〇円に対する原告政子に対し金一、〇九三、〇〇〇円および右同様内金九九三、〇〇〇円に対するそれぞれ右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの被告会社に対する請求および被告安藤、同川本に対するその余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとする。

訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤本清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例